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広島地方裁判所 昭和50年(わ)493号 判決 1975年12月09日

主文

被告人を懲役六月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五〇年七月三一日午後一一時二〇分ごろ、東広島市西条本町一三番一六号バー「まこと」こと岩崎アヤ子方において遊興飲食し、酔余飲食代金支払のことで同店経営者や他の飲食客との間に悶着を起した際、折から臨場した西条警察署勤務巡査長木山康則(当時三二年)・同巡査杉原節雄らの執つた処置が気にくわなかつたうえ、木山巡査長から事情聴取のためと称してパトロールカー乗車を求められ、被告人の意思に反して同町一三番一五号円奈接骨院前路上に駐車中の交通パトロールカーに乗車させられるに至つたことにいたく立腹し、同年八月一日午前零時二〇分ころ、同車内において、同巡査長の左耳介に咬みつく等の暴行を加え、右暴行により同人に対し加療約二週間を要する左耳介咬傷等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<略>

(公訴事実中、公務執行妨害罪について無罪とした理由)

一本件公訴事実中公務執行妨害の点は、「被告人は、昭和五〇年八月一日午前零時二〇分ころ、東広島市西条本町一三番一六号バー「まこと」こと岩崎アヤ子方前路上において、西条警察署勤務巡査長木山康則、同巡査杉原節雄から職務質問のため任意同行を求められて同町一三番一五号円奈接骨院前に駐車中の交通パトロールカーに乗車するや、同車内において、やにわに同巡査長の左耳介に咬みつく等の暴行を加えて前記職務の執行を妨害した。」というのである。

二よつて、その成否につき審按するに、関係各証拠を総合すると次のような事実を認めることができる。

(1)  被告人は、昭和五〇年七月三一日午後九時ころ、東広島市西条本町一三番一六号バー「まこと」に同僚の往下英隆とともに来店し、飲食遊興していたが、同日午後一一時二〇分ころ、同店経営者岩崎アヤ子から閉店を告げられ、被告人らの飲食代金の支払を求められた。

(2)  そのころ、往下はかなり酔い、カウンターにうつぶして寝そべつており、被告人もどういうわけか代金の支払を渋つたため、同店に居合わせていた他の客らからもその支払を促される結果となり、酔余これに立腹して「お前らはここの用心棒か、この店は暴力バーだ。」などと因縁をつけて大声でわめき出し、容易に代金支払の請求に応じようとしなかつた。

(3)  そこで、岩崎アヤ子が西条警察署に「お金を支払わない客がいるのですぐ来てください。」と電話連絡したため、同署勤務の巡査長木山康則(当時三二年)、巡査杉原節雄、同今井伸放の三名が翌八月一日午前零時五分ころ交通パトロールカーで臨場し、岩崎らから被告人が暴力バーだなどと云つて飲食代金を支払わないでいる旨の説明を受け、すぐ他の客を同店から帰した後、被告人及び往下に対しもう時間だから代金を支払つて一緒に帰るようなだめ説得したが、被告人は「どうしてあいつらを帰すのか。用心棒の味方をするのか。」と大声で暴言をはき、一向に耳を貸さないばかりか、同僚の往下が説得に応じて代金を支払おうとするや「暴暴力バーには金を支払うことはない。」と怒号し、その支払いをやめさせようとして、左手で同人の胸倉をつかみ、右手を振り上げ同人に殴りかかりそうな言動を呈した。

(4)  このため木山巡査長は、杉原巡査の応援のもとに、被告人の後方からその両脇に両手を入れて被告人の両腕を制止しながら、「やめないか。」と警告したが、被告人がこれに従わないで、「暴力バーが、おどれらあ、わしをどうするんなら」などと怒鳴りながら右手を振り回し、往下ら店内にいる者に暴力を振いかねない気勢を示したため、被告人に「外に出て話そう。」と告げ、その右腕を後方に捩じ上げて制止したうえ、同店出入口扉前路上に連れ出し、これを引き離した。

(5)  そして、同巡査長は同店前路上において、再び「もう遅いから静かにしなさい。」と警告しても被告人がなおも「おどれらあ用心棒を帰してから、暴力バーが」などと大声で怒鳴るため、これでは近所迷惑になると思い、また同店前道路は歩車道の区別のない幅員3.5メートルの狭い道路であるうえタクシーの通行もあつて、交通の妨害と危険を生じる虞れがあると判断し、被告人を同町一三番一五号円奈接骨院前に駐車中のパトトロールカーに乗車させ、代金の支払拒絶の理由につき職務質問をしようと考えた。

(6)  そこで、同巡査長は、その旨被告人に同行を求めたところ、被告人が素直に応じようとせず、またも「おどりやあ、何を云いよるんか。」と大声でわめくので、その右腕を背後に捩じ上げたまま(但し、力は幾分ゆるめながらも、いつでも関節を決めうる状態で)、被告人の右後方に付いて、同店出入口付近から約10.5メートル離れたパトロールカーまで歩いて行つたが、その間、被告人において、痛さと連行されたくない気持とから身をもがくことはあつても、再び店内に入ろうとして捩じ上げられた手を振りほどいて扉の方へ引返そうとしたり、同巡査長に身体ごとぶつけるとか、足で蹴ろうとする等の言動は特にみられなかつた。そして同巡査長が同車後部左側ドアを開けて、「中に入つて話そう。」と促したが、被告人はこれまでの乱暴な言動等で逮捕され、警察に連れて行かれると心配し、「わしをどうしようと思うんか。何を言うんなら、おどれらあ」と大声で怒鳴りながら、同ドアの内側を足で二回蹴りつけた。しかし、今井巡査からも「早く乗りなさい、近所にやかましいから」と説得され、一まず暴れるのをやめたため、木山巡査長が被告人の右腕を離して、被告人をパトロールカー内に入れたところ、またも被告人は同ドアを約四回蹴り上げたうえ、「わしをどうするんか。何もしていないのに。」と言つて騒いでいるうち、自己の言い分も聞いて貰おうとして、おとなしくなつた。そこで、木山巡査長が車内に入り職務質問を開始しようとして同車内に足を踏み入れ頭を入れたところ、被告人は今まで捩じ上げられていた腕を離された後の痛みとバーの言いなりになつたり、用心棒を帰したりした警察官の処置に腹が立ち、いきなり「おどりやあ、やつちやる。」と言つて右手拳で同巡査長の顔面を殴打しようとしたが、同巡査長が左手で防いだため、今度は両手で同巡査長の頭を押え、上半身をのしかけるようにして、その左耳介に咬みつき判示の傷害を負わせた

以上の諸事実が認められる。

三ところで、公務執行妨害罪が成立するためには、公務員の職務の執行が適法でなければならず、これが適法であるためにはその行為が公務員の抽象的かつ具体的権限に属するのみならず職務行為の有効要件として定められた方式を履践していなければならないと解すべきところ、右認定事実によつて本件をみるに、木山巡査長が、被告人を詐欺罪(無銭飲食)の犯人であると疑い、被告人に対し職務質問をなし得ると認め、ついてはバー「まこと」前路上においてこれを行なうとすれば交通の妨害となるため、付近に駐車中のパトロールカー内で職務質問をしようとしてその同行を求めたことは、警察官職務執行法二条一項、二項に定める権限内の職務行為である。しかしながら、右職務質問のための同行は、同条三項に照らし、被質問者の意思に反してこれを強制しうるものではないこと明らかであつて、同巡査長が同店前路上において、被告人の右腕を背後に捩じ上げたままの状態で同行を求めたところ、被告人がこれを拒絶する意思を示す言動をなしたにもかかわらず、その後において、その右腕を離して被告人を更に説得し納得させる等の手段を講ずることなく、安易にそのまま約10.5メートル先に駐車中のパトロールカーまで連れて行き、乗車させたことは、法定の方式に違反し、被告人の意思を無視した強制的連行といわざるを得ない。

また、同巡査長が同店内で被告人の右腕を背後に捩じ上げた行為は、被告人が椅子などのある狭い店内において往下ら関係者に暴行を加えかねない気勢を示したため、同人らの身体に危険が及ぶことを虞れ、これを制止しようとしたものであり、右制止は同法五条後段に規定された権限に属する適法なものと解することができる。

しかし、同条後段に規定された制止措置は警察上の即時強制として人の生命若しくは身体に対する急迫な危険が明白に現在する時に限り許容されるべきところ、同巡査長らが被告人を往下らから引き離して同店前路上に連れ出した段階ないしパトロールカーに向つて多少出入口扉より離れた場所まで連行したときには、もはや被告人が同人らに対し、暴行を振う機会も失なわれ、特にその後店内に引返そうとしたり、同巡査長らに暴行を加えようとする言動であつたことが明らかに認められない以上、もはや急迫の危険が明白に現在しているとは云い難いから同巡査長が同店前路上においても被告人の右腕を捩じ上げて制止したうえ、パトロールカーまで連行を継続したこと殊に、制止措置のためであるとしてパトロールカーの中にまで乗車させることは同条後段による適法な職務行為であると解することが困難である。

そうすると、パトロールカー内に乗車した被告人に対する職務質問も、その時(乗車直前)すでに被告人の身体に対する物理的な強制力は解かれ、被告人においても自己の言い分を一応聞いて貰おうとする気持が生じたとしても、それまでの違法な連行の直後、これにより作出された、たやすく逃れられない状態を利用して行なうことになり、やはり違法な職務執行というの他はない。

四以上のような次第で、本件訴因である警察官の職務質問のための任意同行に際し、警察官に暴行を加えた行為が公務執行妨害罪に該当するとの点については、職務執行の適法性につき証明がないことに帰するが、同罪は判示傷害の罪と観念的競合の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、なお情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してその三分の二を被告人に負担させることとする。 (森田富人)

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